小説「クズのカス」10
2019年 07月 30日
第10話:飛んだ
そのリョウが十年前にスナック「エルドラド」を辞めたのは、店に飲みに来た客が北新地のクラブの関係者で、その客に美貌を買われてスカウトされたからだ。
リョウはお色気たっぷりの目元が潤んだ男好きのするタイプの美人なのだが、不思議なことに私のタイプではない。だから、私はミカという可愛子ちゃんタイプのスナック嬢を目当てに当時はエルドラドに通っていた。
そのリョウと入れ替わりになるように前のママから店を引き継いだのが今のママのナミなのだが、前のママとはナミの実の母親であり、今は娘のナミの店の隣でこじんまりとした小料理屋みたいなスナックを一人で営んでいる。
私のタイプではないとはいえ、美人にはやはり構いたくなるもので、私は久しぶりに見たリョウに声をかけた。
「おお、リョウちゃん久しぶりやね。何年か前に商店街で見かけて以来やね。新地の店は繁盛してる?」
私が声をかけたことに対して、私に贔屓にされていたわけではないもののリョウは愛想よく返答してくれた。
「ハマちゃんは情報が古いねん。ウチはもう五年も前から南森町のお店で働いているのに」
それから短い時間で話を聞いてみると、リョウはクラブの客に気に入られ、南森町に店を出してもらい、そこの店長として働いているとのことだった。ちなみに、リョウは既に四十歳とかにはなっているはずだ。だから、それなりの年齢は感じさせるものの、まだまだ美人で魅力的ではある。
女性店員ばかりの店で実質的にはガールズバーなのだが、バーとして営業しているとのことだ。
リョウは私に店の名刺をくれた。
「はい、これ、私の名刺ね。気が向いたら来てね」
しかし、南森町は遠いので、たぶん私は行かないだろう。
こんどはママのナミがリョウに話しかけた。
「リョウさん、今日はお客さんと一緒やないんですね。お店が休みとか?」
「店ならちゃんと開いてるけど、今日は非番やねん。このお店に来るとしたら確かにお客さんと来るのやろうけど、今日は大ママの店に来てん。大ママの顔が見たくなってね。けど、満席やから、席が空くまでここで飲ませてもらうわ」
「大ママ」とはナミの実の母親のことだ。今はこの店にはタッチしていないのだが、この店の人間はナミの母親のことを大ママと呼んでいる。だから、リョウもそれに合わせてナミの母親のことを大ママと言うわけだ。
とにかく、これを聞いたナミは少し恐縮した感じでリョウに言った。
「すみませんね、お母さんの店はほとんどいつも満席で。ちょっと安すぎるのですわ」
そう、確かに安いのだ。例えば卵サラダだが、ライフの惣菜よりも盛りが良くて、それなのに200円しかしない。だから、年金生活者の多いこの界隈の高齢者たちがほとんど毎日のように飲みに来る。
午後五時開店なのだが、七時とか八時とかに行くと、店に入れる確率は二十パーセントとかだ。
しかし、リョウはそんなことなど気にしていない。
「全然大丈夫やで、席が空くまでここで飲んでたらエエだけやからね。空いたら教えてくれることになってるねん。それに、くッさんはもうこの店に来えへんからな。ゆっくりと飲めるわ」
この後わかることだが、くッさんとは他でもない楠田和夫のことだ。さっきまで私とナミが話題にしていたあの「クスダ君」だ。
これを聞いたナミは意外そうな表情でリョウに聞いた。
「え! 今のくッさんって、ひょっとして楠田さんのことですか?」
リョウは平然とした様子で返事をした。
「うん、楠田さんのことやで。ある人から聞いたのやけど、このお店に来ていたのやってね」
「ええ、最近は見ないけど、来てはりますよ。さっきまでハマちゃんと、その楠田さんの話をしていたのですわ。それで、その楠田さんのことですけど、なんでこの店に来ないのですか?」
「え? ナミママは知らんの?」
「知らないって何をですか?」
「くッさんは関東のどこかに飛んだんやで」
「飛んだ? 関東に?」
「ブログをしてはることは、ハマちゃんに聞いて知っていますけど、読んだことはないですわ」
「そうか、読んだことがないか、それで知らんのやね」
「で、なんて書いているのですか?」
「大阪もんとは合わんから関東に引っ越して来たってね、書いてあったわ」
私はここで二人の話に割り込んだ。
そうか、あのリョウとは、このリョウのことだったのだ。ありふれた源氏名なのでリョウとリョウが繋がらなかったのだ。
私は、他にも確かめたいことがあったので、なおもリョウに聞いてみた。
「ほんなら、リョウちゃんもワタブロでブログをしているのやな、ほら、『私の花園』というブログ、自分で描いた油絵をアップしているやつ」
「あ、知ってはるんやね、そうそう、それ」
これを聞いたリョウは何故だか笑いながら言った。
「アッハッハ、散々書いとるな。無いこと無いことをね」
「無いこと無いことか、ほんなら、リョウちゃんに散々騙されて貢がされたって、あれは嘘か?」
「あんなん大嘘や。しょうもないバッグとか時計とかを勝手に持ってきよっただけや、こっちが頼みもせんのにな」
「だったら、数百万とか貢いだというのは?」
「数百万ねえ、アホらしい。全部合わせても数十万とちゃうか、どのみち百万も行かへんわ。なんにせよ、しつこい客やったわ。ウチの周りをあんまりウロチョロするからオラオラ系のお客さんに注意してもらったら、店に来んようになったのやけど、そうしたら、こんどは、ブログでしつこく罵詈雑言の誹謗中傷やからね。関東に飛んでくれて清々したわ」
ここでナミが表情を曇らせながら言った。
「関東に飛んだって、それ困るやん、ツケがパアやん」
これを聞いたリョウは少しだけ同情したような表情でナミに言った。
「あんなケチな奴にツケさせたのか、なんぼツケとったん?」
「十五万」
「それは少なくないねえ、気の毒やわ」
しかし、ナミはすぐに気を取り直した表情になった。
「まあええわ、こんどグアムに行くときにデューティーフリーで買うものを少なくしたら済むだけの話やわ」
ここで、ナミのスマホに電話が入った。
「あ、お母さん。え、リョウさん、来てはるよ。ああ、席が空いたのやな。わかった、リョウさんに伝えるわ ・・・ リョウさん、お母さんの店の席が空いたって。どうも、お待たせしました」
「あ、もう空いたのやね、せっかく久しぶりにナミちゃんの顔を見れたのに少し早過ぎるくらいやわ。ほんなら、これ」
そう言うと、リョウは万札を差し出したのだが、
「そんなん、今日はエエですよ、なんぼも座ってはらへんし、久しぶりに会えたし」
そんなやり取りがありーのして、リョウはエルドラドを後にした。
「あーあ」
リョウを店の前まで見送りに出たナミは、カウンターに戻ると、わけのわからぬ溜息をついた。
そして、このときから、一ヶ月ほどの時が流れた。
私がまたもやエルドラドでスナック嬢のユウとダベっていると、楠田和夫の同僚の渡辺がなにやら酷く嘆きながら店に入ってきた。
「あーあ、もう、楠田のヤツ、一体なんやねん! どうもならんな、あいつは。関東に飛んだだけかと思っとったら、ほんまにもう。あいつの親父はこれからどうなるねん!」
楠田和夫については、どうやら、もう一波乱あったようだ。
だが、もはや彼と何の関係もない私は、渡辺の話を聞くのがただ楽しみなわけで ・・・
=続く=
by yassin810035
| 2019-07-30 09:37
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